私は現在宮城県仙台市に移住していますが、二〇〇二年二月まで、人口約九万人の城下町山形県米沢市で、病院寝具をメインとするリネンサプライ業を経営していました。資本金一千万円、社員数四十八名、年商三億円の典型的な同族スモールカンパニーです。経営者とはいっても父親が創業者であるため、私は世襲で社長を承継した、いわゆる二代目経営者でした。
当時の私は、M&Aという用語と意味は漠然と知ってはいたものの、中小企業とはまるで無縁の施策であり、企業の売却、買収等は、大手企業特有の経営戦略だと思っていた程度だったのです。ところがそのM&Aを、大手企業どころか私が経営する弱小スモールカンパニーが、億単位の企業評価を受け成功させてしまったのです。そして、当時四十九歳の働き盛りであった私は、M&Aで得た資金を第二創業の起業資金にし、新会社を立ち上げてしまったのです。
売却当時はM&Aという経営戦略に理解がなく、東北の町工場の馬鹿息子が、親から貰った会社を誰かに乗っ取られたらしい・・などという陰口も聞こえていました。あれから十二年、中小企業の事業承継の手法のひとつとしてM&Aに脚光が高まり、M&A成約が増え、中小企業を対象としたM&Aのセミナーや書物が多くなってきました。
しかし、その多くが大学教授、税理士、弁護士により教示された経営学や経済学の視点、あるいは専門家によるM&Aの技術やスキームが売り物となり、そこには、売却を決断した経営者の「心境理解」がおざなりになっています。経営者は、売却を考えたときから悩みがはじまり、誰にも打ちあけられず連日悩みが続きます。
「売却して会社はどうなるのか」「社員は退職に追い込まれないだろうか」「社員はどのように私を見るだろうか」「「地域内でどのように思われるだろうか」「家計や暮らしはどうなるであろうか」「子供達の学費や将来はどうなるであろうか」・・・悩みの一例です。経営者の悩みは二四時間続きます。さらに、売却を決断した中小企業社長の心境は平静を装いながらも穏やかではありません。支援者が経営者の「心境」と「必死度」を真摯に理解することで決断しようとする経営者からの信頼を獲得し、M&A売却の一歩が始まります。
私が譲渡した会社は、社名も社員もそのまま存続しています。変わったことと言えば、業界のリーディングカンパニーの傘下となり、大手企業のグループ一企業となったことと、若さと英知あふれる社長と私が入れ替わったことだけでした。私が実践したM&Aは、社員の働き場を継続し、私の会社を引き継いだ企業は当地のシェア確保と、さらなる営業拡大を実現するなど、多くの人々にハッピーをもたらした経営戦略となっています。
まさに中小企業のM&Aは、譲受側の後継社(買収側企業)がサンタクロース的存在となり、トナカイではなくM&Aという戦略に乗り、後継者と言うプレゼントを背負って譲渡側企業(売却側企業)にやってくる、と言う表現にぴったりなのです。
本書は、二〇〇二年三月に上梓した拙著「私が会社を売った理由」、そして、二〇〇八年五月に上梓した「継ぎたくない会社はさっさとM&Aしなさい」を統合し加筆修正を加えました。M&Aの専門書は存在しても、売却実践者の著書は私以外に見当たりません。当時の心境で執筆した過去の拙著二冊と、M&A売却から十二年経過しながらも有意義な人生を過ごしている現況を比較融合してみました。売却実践者の立場で、引き続き、全国の経営者にハッピーM&Aの実態を届けようとしたことがきっかけです。
M&A(第三者による事業引継ぎ)は、中小企業においても必要不可欠な経営戦略のひとつとなっています。本書が、後継者不在の中小企業経営者にエールを贈る結果になればと心から思っています。
また、現況ではとくにM&Aの戦略を必要としない経営者の皆様でも、企業は生き物であり、生々流転し様々な時期を迎えるという事実を理解いただき、将来、再生期を迎えたときの「備え」として拙著をとらえていただければ幸です。
鈴木均 1953年1月28日生まれ
株式会社メルサ 代表取締役
宮城県仙台市若林区河原町1-2-14
プラウド河原町トレサージュ1105
